選手紹介 内田役子

内田 役子

愛称 ユキ
生年月日 1971/7/18
身長 168cm
出身地 広島県廿日市市(旧:佐伯郡佐伯町)
出身校 進徳女子高等学校
ポジション セッター
実姉がバレーボールをしていた影響で、小学校3年生からバレーを始める。佐伯中で県大会ベスト4、進徳女子高校では春高バレー・インターハイに出場した。
1990年 イトーヨーカドーバレーボール部に入部。主将を務めるなど活躍
1998年 引退
1999年 現役復帰。熊本選抜(熊本日産自動車)で熊本国体優勝に貢献。国体選抜チーム解散後の同年、当時V1チームの東北パイオニアに入部。Vリーグ昇格に貢献。
2002年 二度目の引退。故郷に戻り一般の仕事をしていたが、チームからの復帰要請で半年後、三たび現役復帰。
2003年 第52回黒鷲旗全日本選手権初優勝に貢献。同年の全日本代表に初選出されたが、リーグでのチーム初優勝という目標を優先し代表を辞退。
2003-04年 第10回Vリーグでチームの司令塔として吉原知子、佐々木みき、斎藤真由美、多治見麻子らとチーム創部25年目、Vリーグ昇格4年目にしてリーグ初優勝に導いた。
2005-06年 第12回Vリーグでは、年を重ねるごとに円熟味を増したともいわれる絶妙のトスで栗原恵、フランシーヌ・フールマン、佐々木、多治見らと二度目のVリーグ(プレミアリーグ)制覇の原動力となり、自身も初のベスト6を獲得。
2007年4月 Vリーグ出場試合が佐々木、多治見と共に女子選手歴代4位の232試合(当時)となり、リーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』で長期活躍選手として特別表彰される。
2007年5月 第56回黒鷲旗全日本選手権を最後に引退。アシスタントコーチとしてパイオニアで後進の指導にあたる。
2008年1月 選手兼任コーチとして四度目となる現役復帰。
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パイオニアレッドウィングス公式ホームページより
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選手紹介 栗原 恵

栗原 恵(くりはら めぐみ、1984年7月31日 - )
広島県江田島市(旧佐伯郡能美町)出身。ニックネームはコウ、メグ

血液型 B型
生年月日 1984/7/31
身長 186cm
出身地 広島県
出身校 三田尻女子(現:誠英)高校
ポジション ウイングスパイカー

小学校4年生からバレーボールを始める。

1998年6月 兵庫県姫路市の大津中学校にバレー留学。高校は山口県防府市の三田尻女子高校(現・誠英高校)に進学。1年生時にインターハイ・国体・春高バレー優勝の高校3冠を経験。3年生時には全日本代表のメンバーに選ばれた。
2003年 Vリーグ(プレミアリーグ)のNECレッドロケッツに入団。同年5月の黒鷲旗大会では若鷲賞を受賞。同年11月のワールドカップでは、大山加奈と共に19才コンビと注目を集める。
2004年 アテネ五輪に出場し5位入賞を果たす。
2004年10月 NECレッドロケッツを退団。
2004年11月 パイオニアレッドウイングスに入団。
2004-05年 第11回Vリーグ『シーズン開幕後に移籍した選手はリーグ戦の参加を認めない』という大会規定から出場できず。
2005年5月 黒鷲旗大会で公式戦出場し、チーム優勝に貢献。大会後、当時監督だったアリー・セリンジャーとの対立により一時期チームから離れる。8月中旬にはチームに戻り、2005-06年第12回Vリーグは開幕戦から出場。パイオニア2季ぶりの優勝に大きく貢献し、最高殊勲選手・サーブ賞・ベスト6賞を獲得。
2006年 全日本代表に選出されたが、合宿中に左足有痛性分裂種子骨障害と診断され離脱。約半年間のリハビリ生活を送る。
2007年 全日本に復帰し、同年ワールドカップに出場。

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タグ:栗原 恵

選手紹介 細川麻美

細川 麻美

愛称 マミ

生年月日 1985/4/20

身長 176cm

出身地 東京都武蔵村山市

出身校 下北沢成徳高校

ポジション ウイングスパイカー

細川麻美選手の出身校、下北沢成徳高校は(成徳学園から校名変更)
大正15年、成徳女子商業学校として創設された私立女子校。
中高一貫教育で、文理と国際理解コースがある。
バレー部は昭和26年創設。
OGは、落合真理(久光製薬)、榛沢舞子(パイオニア)ら。

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パイオニアレッドウィングス公式ホームページより
タグ:細川麻美

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